わが国が独立国として当然持つている自衛権を行使するための実力組織が自衛隊である。
自衛隊は「わが国の平和と独立を守り,国の安全を保つため,直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし,必要に応じ,公共の秩序の維持に当る」ことを任務とする。
これらの任務を達成するため,自衛隊は,自衛隊法の定めるところに従つて,次の行動をする。
外部からの武力攻撃に際して,わが国を防衛するため必要がある場合に,内閣総理大臣の命により,出動する。この場合には事前に(緊急の場合には事後)国会の承認を必要とする。
間接侵略その他の緊急事態に際して,一般の警察力では,治安維持ができないと認められるとき,内閣総理大臣の命により出動する。(この場合には事後に国会の承認を必要とする。)
都道府県知事の要請があり,治安維持上重大な事態につきやむを得ない場合に,内閣総理大臣の命により,出動する。都道府県知事は治安出動の要請をした場合には事態が収まつた後,すみやかに都道府県議会に報告を必要とする。
海上における人命,財産の保護または治安維持のため特別の必要がある場合に防衛庁長官の命により海上において行動する。(この場合,内閣総理大臣の承認を必要とする。)
外国の航空機がわが国の領空を侵犯したとき,防衛庁長官の命により必要な行動をする。
天災地変その他の災害に際し,人命または財産の保護のため必要がある場合に災害救援の行動をする。
内閣総理大臣は.内閣を代表して自衛隊に対する最高の指揮監督権を有し,防衛庁長官は内閣総理大臣の指揮監督を受け,自衛隊の隊務を統括する。
防衛庁長官を補佐する機関として,自衛官でない職員である政務次官,事務次官,参事官および主として自衛官以外の職員で構成する内部部局と,主として自衛官で構成する陸上幕僚監部,海上幕僚監部,航空幕僚監部および統合幕僚会議が置かれている。
内部部局は,陸,海,空自衛隊の隊務についての基本方針等について長官を補佐する。
陸,海,空の幕僚監部は,それぞれ,陸,海,空自衛隊の隊務に関する長官の幕僚機関である。
統合幕僚会議は,議長および陸,海,空幕僚長で構成される合議体の長官の補佐機関である。
長官の指揮監督の下に陸,海,空の部隊および機関が置かれている。
自衛隊の組織の概要は,別表第8のとおりである。
陸上自衛隊の部隊には,方面隊その他の部隊があり,方面隊の隷下に師団その他の部隊がある。また,機関として学校,補給処,病院がある。
海上自衛隊の部隊には,自衛艦隊,地方隊その他の部隊があり,自衛艦隊の隷下に護衛艦隊、航空集団その他の部隊がある。また,機関として学校,病院がある。
航空自衛隊には,航空総隊,飛行教育集団その他の部隊があり,航空総隊の隷下に航空方面隊その他の部隊がある。また,機関として術科教育本部,学校,補給統制処,補給処,病院がある。
また,陸,海,空自衛隊の共同の機関として,中央病院,地方連絡部等がある。
陸,海,空自衛隊の組織および編成の概要は,それぞれ,別表第9から別表第11のとおりである。
防衛庁の附属機関として,防衛研修所,防衛大学校,技術研究本部および調達実施本部が,防衛庁の外局に相当する機関として防衛施設庁が置かれている。
防衛庁の定員は287,662人で,うち自衛官の定員は259,058人であり,残りが自衛官以外の職員である。これを各自衛隊についてみると,陸上自衛隊は自衛官179,000人,その他12,716人,海上自衛隊は自衛官38,323人,その他4,740人,航空自衛隊は自衛官41,657人,その他4,960人である。なお,陸上自衛隊には定員36,000人,海上自衛隊には定員300人の予備自衛官がある(以上の定員は,昭和45年度のもの。)。
これらの自衛官のうち,幹部および曹の階級にある自衛官については停年制があり,幹部,曹の階級にある自衛官以外の自衛官は志願により,2年または3年の任期をもつて採用される。
昭和45年度の防衛関係費(防衛庁費,防衛施設庁費,国防会議費)は,5,695億円で,一般会計歳出に対して7.16%であり,また国民総生産に対する割合は0.79%である。
なお,防衛関係費の推移および主要経費の歳出予算の推移は,別表第12および別表第13のとおりである。
自衛隊は,平時において,次の業務を行なつている。
わが国の領空は,全国に設置されたレーダー網により常時警戒されており,また航空自衛隊の航空部隊は領空侵犯に対処するため,常時警戒待機の態勢をとつている。領空侵犯のおそれのある識別不明の航空機がわが国に接近する場合には,直ちに緊急発進(スクランブル)の措置をとつている。
現在までの緊急発進の状況は別表第14のとおりである。
都道府県知事等は,天災地変その他の災害に際して,人命または財産の保護のため必要があると認める場合には,自衛隊の部隊等の派遣を,防衛庁長官その他自衛隊の部隊の長に要請することができる。その要請を受けた場合において,事態がやむを得ないと認めたときは,部隊等を救援のため派遣している。なお,事態に照らし,特に緊急を要する場合で,都道府県知事等の要請を待ついとまがないと認められるとき,または自衛隊の施設の近傍に災害が発生した場合には,その要請を待たないで自発的に部隊等を派遣することとしている。災害派遣を命ぜられた部隊等の救援活動は,災害の態様により異なるが通常,次のような作業を実施している。
災害派遣は,昭和26年度以降昭和44年度までに約6,600件を実施し,延べ約3,100,000人の自衛官を出動させており,昭和44年年度においては約590件,延べ約56,000人を派遣している。
航空機の救難には,捜索地域が広範囲にわたる等他の災害の場合における救援とは異なる事情があるので,自衛隊においては,特に航空機の救難体制を整備している。すなわち,全国を七つの救難区城に区分し,航空救難専任部隊を設け,高速型特務艇,救難へリコプター,飛行艇,捜索機を配備して,緊急状態にある自衛隊または民間の航空機に対して,迅速に救難活動を実施しうるようにしている。
なお,昭和36年.防災体制の統一化を目ざして災害対策基本法が制定され,防衛庁も同法の指定行政機関とされ,中央防災会議が作成する防災基本計画に基づく当庁の防災業務計画を作成し,これを実施するとともに,地方公共団体が行なう地域防災計画の作成,実施について,勧告,指導,助言等をする責務を有することとされ,自衛隊の行なう災害派遣も国の行なう防災対策の一環として位置づけられた。
災害派遣の主な事例をあげると,次のとおりである。
昭和34年9月伊勢湾台風による災害に際して,陸,海,空自衛隊から延べ約665,000人,車両延べ約100,000両,舟艇延べ約8,4000隻,航空機延べ約800機を派遣して,人命救助,遺体収容,河川および海岸堤防の締め切り,道路啓開,架橋,通信線の復旧,物資および人員の輸送等の作業を行なつた。
昭和38年1月北陸,上越地区豪雪による災害に際して主として陸上自衛隊から延べ約372,000人,車両延べ約12,500両,航空機延べ約634機を派遣して,人命救助,鉄道除雪,道路啓開,物資および人員輸送等の作業を行なつた。
昭和41年7月の新潟北部地区集中豪雨による災害に際して,陸,海,空自衛隊から延べ約32,000人,車両延べ約4,390両.航空機延べ約310機を派遣して河川の応急復旧,物資および人員の輸送,給水等の作業を行なつた。
昭和42年8月の羽越集中豪雨による災害に際して,主として陸上自衛隊から延べ約61,000人,車両延べ約8,720両,航空機延べ約620機を派遣して,河川の応急復旧,物資および人員の輸送,道路の応急啓開,給水等の作業を行なつた。
昭和43年5月,十勝沖地震による災害に際して,陸,海,空自衛隊から延べ約12,000人,車両延べ約1,260両,航空機延べ約120機を派遣して給水,遺体収容,堤防補強,人員輸送等の作業を行なつた。
海上自衛隊は,海上における機雷その他の爆発性の危険物の除去および処理を行なつている。
第2次世界大戦中,わが国の近海に敷設された機雷の数は,日本軍,米軍あわせて約66,000個といわれ,その危険海面は約34,000に及んだ。これらの海面の掃海は,終戦以来復員省,運輸省の手を経て,海上自衛隊に引き継がれ今日に及んでいる。
昭和44年度までに約32,000の掃海を実施し,要掃海面積の約93%の掃海を完了し,主要航路は,ほとんど啓開されている。今後は,内海の浅海面の掃海を実施することとなつている。また浮流機雷については,ここ数年発見されたものは数件にすぎないが,これについても処分の任に当たつている。昭和44年度末までに処分した浮流機雷は約740個である。
第2次世界大戦中連合軍が日本本土に投下した爆弾が,戦後20余年を経た今日なお不発弾として発見されることがあり,陸上自衛隊は,陸上において発見された不発弾その他の火薬類の除去および処理を行なつている。
陸上自衛隊が昭和44年度までに処理した不発弾は22,000件,1,700トンであり,昭和44年度処理実績は約2,000件,約100トンである。
自衛隊は,国,地方公共団体等の委託を受けて,土木工事,通信工事,輸送事業,防疫事業等を実施している。自衛隊が委託を受ける土木工事としては道路構築,学枚の運動場等の整地,木橋架設,除雪等,通信工事としては電柱建設,電話線の架設等,輸送事業としては車両,艦船,航空機を使用しての輸送,防疫事業としては薬剤散布による消毒,害虫の騒除等である。
自衛隊が委託を受け実施した土木工事の処理実績は昭和44年までに約5,000件,土工量約68,000,000,エ事規模は約37,000,000人日であり,昭和44年度においては約290件,工事規模は約2,900,000人日,土工量約6,000,000である。
自衛隊においては,自衛隊の任務遂行に支障を生じない限度で,部外者の教育訓練の委託を受けて実施することができることとされている。民間航空からの要請に応えて毎年相当数のパイロツトの受託教育を実施し,民間航空におけるパイロツトの不足の解消に協力しており,また,救急等に従事する技術者の教育訓練の受託をしているのはその例である。
自衛隊は,関係機関から依頼があつた場合には,オリンピツク競技大会,アジア競技大会,国民体育大会のような国際的,全国的規模またはこれらに準ずる規模で開催される運動競技会の運営に,自衛隊の任務遂行に支障を生じない限度で,協力することができることとされている。自衛隊がこれらの運動競技会の運営に協力するのは,式典,通信,輸送,奏楽,医療および救急,会場内外の整理等である。
自衛隊は第18回オリンピツク東京大会(昭和39年開催)および第3回アジア競技大会(昭和33年開催)の運営に協力し,また,国民体育大会については第12回国民体育大会(昭和32年静岡県)以来毎年その運営に協力している。なお昭和47年に札幌市で開催される第11回札幌オリンピツク冬季大会の運営についても全面的にこれに協力することとし,現在その準備をすすめている。
自衛隊は,国が行なう南極地域における科学的調査について調査に従事する者や調査に必要な器材,食糧その他の物資の輸送,雪上車の設計および試験について協力することとなつている。
わが国の南極地域観測は,昭和31年から毎年,6回にわたり観測隊を派遣して行なわれたが,昭和37年第6次観測隊員の帰国をもつて一応打ち切られた。その後,昭和38年8月20日の閣議において,南極地域観測は諸般の準備の完了をまつて再開し,その実施のための輸送は防衛庁が担当することと決定された。
自衛隊は,昭和40年度の第7次(再開第1次)南極地域観測以降毎年度砕氷艦「ふじ」による輸送支援を行ない,南極地域の観測に協力している。
なお,これらのほか,他の官庁等の要請により協力しているものもある。たとえば,最近では気象庁の要請により北海道沿岸海城における流氷観測,内閣の放射能対策本部の要請により中共の核爆発の際の高空における集塵,厚生省の要請により硫黄島における戦没者の遺骨収集の支援,ボーイスカウトのジヤンボリーに対する支援等の作業を実施した。
政治が軍事を統制するのは民主主義国家の鉄則である。われわれが歩んできた過去を顧みて忘れてはならない教訓は,戦前における政治と軍事,外交と軍事の関係である。
旧憲法においては,統帥権独立の原則が確立されており,軍の作戦用兵に関する事項に限らずそれ以外の軍に関する事項についても,内閣や議会の統制の及びえない範囲が広く認められていた。また陸海軍大臣は現役軍人でなければならないため,軍部の意向にそう内閣でなければ成立せず,軍部の賛成がなけれは国策を樹てたり,これを遂行することができなかつた。このように軍事の枢要部分が政治の圏外におかれて政治と軍事が遊離し,軍部がきわめて強力であつたことと相まつて,軍事が政治,外交に優先し,国防問題を軍事戦略中心に追求し,政治,外交に干与して,これをリードしたところに大きな問題があつた。それゆえ今日,われわれがしなければならないことは,政治と軍事,外交と軍事の関係を正しく律すること,すなわち軍事に対する政治優先の原則の確立とこれを正しく運営することである。自衛隊は文民統制(シビリアン・コントロール)の原則のもとにおかれており,その要点は次のとおりである。
旧憲法の下では,軍令事項と軍政事項とが区分されていたが,自衛隊については,この統帥事項(いわゆる軍令事項)も他の管理事項(いわゆる軍政事項)と区別することなく,すべて内閣総理大臣および防衛庁長官の権限とされている。
このように,文民統制の体制は確立しているといえるが,この原則を,いつそう円滑に運営し,文民統制の成果がさらにあがることが期待される。
現在の自衛隊は,民主主義の理念に基づいて創設された新しい防衛組織体である。したがつて,自衛隊は,その存立の社会的基礎を旧陸海軍と異にするものである。民主的な社会を母胎として生まれ,その社会に根をおろした存在である。この点について,昭和36年に,自衛官の教育の指針として作成された「自衛官の心構え」においては,「自衛隊はつねに国民とともに存在する。したがつて民主政治の原則により,その最高指揮官は内閣の代表としての内閣総理大臣であり,その運営の基本については国会の統制を受けるものである。」と説明している。自衛隊は,国会および内閣の統制を受け,完全に民主政治の支配に服する機関として構成されており,いわゆるシビリアン・コントロールの体制の中にある。
以上のような自衛隊の性格に応じ,これを構成する自衛官のあり方もまた旧陸海軍の軍人のそれと異なるものである。自衛官のあり方の基本は,まず民主的社会における立派な市民であることである。自衛官は一般の市民と同質の存在であり,制服を着た市民である。民主社会において市民にとつて価値の高いものは自衛官にとつても価値の高いものである。市民の持つ道徳基準は,同じように自衛官の持つべきものである。前記の「自衛官の心構え」においては,この点について「自衛官は,有事においてはもちろん,平時においても,つねに国民の心を自己の心とし,一身の利害を越えて公につくすことに誇りをもたなければならない。自衛官の精神の基盤となるものは健全な国民精神である。わけても自己を高め,人を愛し,民族と祖国を思う心は,正しい民族愛,祖国愛としてつねに自衛官の精神の基調となるものである。」と説いている。民主社会における自衛官として自己もその社会の構成員であることを自覚し,みずからと社会との一体感に基づいてその社会を守ろうとするところに民主国家防衛の精神的基盤があるということができよう。
以上のように,自衛官もまた市民である以上,自衛隊のなかにおいても市民的な基本権は擁護されなければならない。旧憲法時代においては,軍人はいわゆる一般臣民とは別個の身分を持つた存在であり,一般臣民に認められる各種の自由権についても「陸海軍ノ法令又ハ紀律ニ抵触セサルモノニ限り軍人ニ準行ス」るものとされていた。この点について新憲法では,「国民は,すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる。」と規定しており,軍人という特別の身分は認めないで,自衛官であろうとなかろうとすべて国民として基本的人権の享有を妨げられないという考え方である。その点から今日自衛官に対して大学の中に受験や入学の拒否が事実上行なわれているところがあるのは,遺憾にたえない。
以上のように自衛官もまた一般の市民であるが,自衛官も公務員である以上,公務員として勤務するに必要な範囲で一般の国民と異なる制限または特例が定められている。
わが国は,日米安全保障体制を堅持して,わが国の防衛を全うする方針である。そのため自衛隊はもちろん米軍がその責務を果たすために,防衛施設(自衛隊施設および米軍施設)は欠くことのできないものである。
防衛施設は,部隊の駐とん,輸送,補給,通信等の基点として,また日常の教育訓練の場等として欠くことのできない要素であり,防衛施設の設置が円滑に行なわれ,その維持,運営が安定したものでなければならない。
防衛施設は,昭和45年3月末現在2,157件,土地面積約1,155建物面積約12,974,000であり,そのうち,自衛隊施設は2,033件,土地約941,建物約8,372,000,米軍施設は124件,土地約214,建物約4,602,000である。
米軍施設は,講和条約発効当時(昭和27年4月28日)には,2,824件,土地約1,353,建物約13,565,000であつたが,その後たびたびの統合整理等を経て漸減し,講和条約発効時と昭和45年3月末現在との規模を比較すると,件数で約23分の1,土地面積で約6分の1,建物面積で約3分の1となつている。
いわゆる基地問題は,防衛施設の新設,拡張,飛行場周辺における騒音,現有施設と地域開発計画との競合等に関連して生起しているが,これに基地反対闘争がからみ問題を複雑化している。
基地問題解決のための対策は,基地間題の態様等に応じ個別的に行なわれるものであるが,現在とられている対策としては,防衛施設周辺の整備等に関する法律等に基づき,飛行場,射爆場等の周辺での騒音や障害を防止するため,校舎等の防音工事,建物の移転,損失の補償を行なうほか,周辺住民の生活や事業活動が著しく阻害されている市町村で地方公共団体がこれらの対策として行なう各種の整備事業の補助も行なつている。
米軍基地はさきに述べたように当初に比し著しく減少している。しかし,現在においては,日米双方がさらにその将来のあり方について協議検討すべき転換期にきている。
すなわち,日本においては,防衛力の自主的整備の進行に伴い,さらに施設の必要の増加が予想され,かつ,狭い国土に日米の防衛施設が併存することが,急速に進みつつある地域開発や民生に与える影響を考慮する必要がある。
また,米国としてもニクソン・ドクトリンの宣明以後,海外基地の整理,基地機能の変化等により在日米軍基地も検討の対象とならざるを得ない状況にある。
このような客観情勢をふまえ,米軍の基地のあり方については,新しい情勢に順応した対策が必要となつた。
今後の見通しとしては,米軍基地は,米軍がもつぱら使用を継続するもの,米軍施設で自衛隊が共同使用するもの,自衛隊施設で米軍が臨時的に使用するもの,自衛隊が移管を受け,もつぱら自衛隊が使用するもの,一般の用途に返還されるものに分類することができるであろう。
われわれは,このような観点からできるだけ正確な見通しに立ち,米軍と密接な連係を保ちつつ,基地間題の進展に対処してゆく必要がある。
そして,基地の管理を実状に調和した姿に改め,条約上確保された米軍の機能発揮に円滑を期するとともに,自衛隊の所要と民生への寄与を調整しつつ基地対策を進めてゆかなければならない。
戦後のわが国の経済発展は,奇蹟といわれるほど,速い成長と長期繁栄を持続した結果,今やその規模は格段に大きくなり,その国際的水準も著しい上昇をとげつつある。このような発展は1970年代においても増大して行くであろうと予想されている。
経済発展に関連して自衛隊では次のような問題が考えられる。
自衛隊は,毎年約30,000人前後の2年または3年任期の自衛官を募集している。その対象とするのは年齢が18歳から24歳までの者であり,企業の求める年齢層と競合する関係にある。そして経済成長に伴う企業の求人数の増加と適齢人口の絶対数の減少という事情の中で,自衛官募集は重大な影響を受けている。
政府が発表した昭和45年度の経済白書の中で,「人手不足経済への対応は今後の重要な課題である。豊富で質のよい労働力の供給が,これまでの経済成長をささえてきた大きな要因であつたが,30年代後半以降しだいに労働力の不足が表面化し,最近の長期繁栄の下で労働力不足の波は大企業にもおよぶようになつてきた。」旨を述べており,また,一方,労働白書(昭和45年度)によると労働力不足と雇用の増加を示す実情について,「昭和44年には求人難が一段と強まつた。新規学卒者の求人の充足率(就職者数の求人数に対する比率)は,44年3月卒では中学卒19%,高校卒16%といずれもはじめて2割を下回つた」とし,「労慟力人口は,昭和30年代末期から40年代初頭にかけては,戦後ベビーブーム期出生者の労慟力化によつてその増加率が一時高まつたが,それを過ぎると増勢は鈍化しつつあり今後もそれがさらに強まると推定される。」旨を述べている。
こうした現象は,自衛官募集にもはつきり影響があらわれており,昭和30年代後半から続いている募集難は,一時緩和されたものの,再び深刻な事態を迎え,将来にわたつて募集難はますます深刻化する状況にあり,省力化を進めることはもちろんであるが,自衛官募集について特に格段の努力をする必要がある。
任期制の自衛官(2等陸士,2等海士および2等空士)の募集状況の推移は,別表第15のとおりである。
なお,任期制の自衛官の充足とは性質の異なる間題であるが,医官の充足の間題がある。
自衛隊の医官の充足率は,約40%である。これを病院と部隊等に分けてみると,部隊等における充足の低いことが目だつている。医官の充足対策をいろいろ講じてきているが,過去の実績にかんがみ,これが直ちに好転するものとは考えられない。多くのへき地の駐とん地や基地を持ち,多数の艦船をかかえている自衛隊としては,今後とも医官の確保にはいつそうの努力を必要とするものである。医官充足の今後の一つの対策として自衛隊が独自に医官を養成し,これを勤務させることについて現在検討中である。
自衛官は,その任務の性格上,居住制限を受けたり,へき地勤務を余儀なくされたりするきびしい勤務条件のもとに,防衛任務についているが,その生活環境は必ずしも十分ではない。
たとえば,自衛隊の隊舎は,旧陸海軍の老朽施設の一部を利用したものが多く,逐年建替え等が行なわれているが,いまだ十分ではなく,今後ともこの部面における整備に努めなけれはならない。自衛官の任務は生命の危険を伴うものであり,それは平時の訓練においても一般社会の仕事に比べて危険の度は高いといえるので,それにふさわしい対策,制度について検討を重ねる必要がある。
また,自衛隊の勤務は,大半のものにとつては,生涯の職業ではないことに注目し,退職後の就職を円滑にするための施策等を強化し,安んじて任務に精励できるようにする必要がある。
科学技術の進歩に伴い,明日の自衛隊は,今日の自衛隊より,いつそう近代的な装備を縦横に駆使する精鋭の機械化部隊となり,その構成員である自衛官はすぐれた技術者群でなければならないと考えている。そして,任期を終えて除隊する自衛官が精神的,技術的教育を受けて近代工場の技術者に劣らない能力を持ち,健全で優良な国民として社会に送り出され,社会もまた喜んでこれを受け入れるということになれば,自衛隊と社会の間に有益な循環交流関係が成立し,自衛隊にとつても,社会にとつても好ましいことである。
自衛隊は,国民教育の場としての機能を再検討し,その教育訓練を国民の社会生活の一環としては握し,両者の関係を正しく位置づけ,自衛隊と産業社会が適切な相互依存関係をもつて,互にその発展を助け合うという関係をもつことは,1970年代における労慟力の不足,科学技術の進歩,防衛力の整備等の相関関係を考え合わせたとき,非常に重要な問題であるといわなければならない。
現在,自衛隊においても自衛官の教育訓練と,退職後における職業を結び合わせる努力はなされているが,以上のような観点から考えると決していまだ十分とはいえない。今後とも高度な産業社会に即応し得るよう,自衛官の教育訓練および職業補導について十分に配慮することが必要であろう。
昭和44年9月の内閣総理大臣官房広報室が実施した世論調査の結果によると,最近の国民は防衛間題に対して,次のように考えているようである。
戦争に対する考え方としては,人類の文明が進歩しても,「戦争がなくならないと思う」者は62%で,「なくなると思う」14%よりはるかに多く,戦争の危険に対してなお不安をいだいている。
このような状況のもとで,もし日本が武力攻撃を受けた場合に,自衛のため武力を行使することの是非については過半数の者(60%)が肯定すると同時に,有事の際にはなんらかの方法で,みずから侵略に抵抗するか,自衛隊を支援したいという意思を表明した者は55%におよんでいる。
また,現在の世界情勢から考えて,日本が戦争をしかけられたり,戦争にまきこまれたりする「危険はない」といいきつた者は,23%で,「危険がある」(25%)と「ないことはない」(27%)を合わせて約半数の者は,戦争に対していくばくかの不安をいだいている。
このような危険に対する日本の防衛体制については,「現状どおり.安全保障体制と自衛隊による防衛」を望む者が41%を占め,安全保障条約を破棄して,自衛力を強化し,単独防衛に賛成する者や安全保障条約を破棄して非武装中立の道を選ぶ者は,それぞれ10%程度である。
この世論調査の結果にあらわれた数字によると,国民は世界の平和を理想としながらも,現実の国際情勢を見きわめ,わが国が現在選んでいる安全保障政策に対する理解が定着したとみられる。
自衛隊に関する調査では,自衛隊を必要であるとする意見を表明した者が75%で,昭和40年に実施した調査結果の82%におよばなかつたが,引き続き国民の大多数が自衛隊存在の意義を認めている。
今回の調査で特に注目すべき点は、自衛隊の任務について国民の理解が深まつてきたことであろう。
自衛隊設置の目的,業績および今後の重点に関する質間に対して,次のような回答が寄せられている。
まず,自衛隊が設けられた第1の目的は,対外的に「国の安全を確保する」という意見が50%を占め,次いで「国内の治安維持」(22%),「災害派遣」(13%)の順になつている。
一方,自衛隊はこれまでどんなことで一番役だつてきたかについては,従来同様「災害派遣」が最も高く(71%)評価されているが,自衛隊が今後力を入れるべき点としては,「国の安全の確保」をあげた者が29%で最も多く,過去の調査と比較すると大幅に増加し,これまで最も多かつた「災害派遣」の24%を上回つている。
これらの結果ををみると,今までの「災害派遣の自衛隊」という国民のイメージは「防衛のための自衛隊」に,その姿をかえつつあるといえよう。
国の安全保障問題は,外国との関係を律し,国の存在を全うするためのきわめて重要なことであり,この間題ほど国民的合意が必要なものはない。国の平和と安全の問題について各国では,だいたい共通した基盤があるようであるが,わが国では国論の一致を欠き,いまなお正反対の主張が行なわれている。武装と非武装,集団安全保障と中立,日米安全保障体制の堅持と破棄などがそれであり,さらにそれが各種各様に組み合わされ,そのため国民もまた各種各様の意見をいだいたり,それぞれ異なる感じ方をしていて,共通の広場における対話が行なわれることが少ない。
わが国には,防衛間題に対する国民の考え方を特徴づけるいくつかの原因が考えられる。
第1に,四方が海に囲まれている地理的な条件がある。すなわち,欧州の国々のように互に国境を接しているのとは異なり防衛間題について緊迫感がうすい。
第2に,戦争の傷あとはなお深く,戦時中の軍部に対する反感が根強く残つており,それが防衛力としての自衛隊の存在すら拒否したいとする感情に結びつく傾向がある。
第3に,核兵器の洗礼を受けた唯一の国民として,通常兵器による防衛努力に対する無力感がある。
第4に,日米安全保障体制の抑止効果が有効に働いて,戦後25年間国民は全く侵略の危険を感ずることなく平和を享受することができ,防衛問題に深刻な関心をもつ必要はなかつたといえる。
第5に,日本の防衛力の建設にあたつて,国民が選択する自由のないうちに,占領時代にその方向が定められた。
こうした事情から,現実的な防衛間題には必ずしも歩調がそろわなかつた。
しかしながら,1960年の日米安全保障条約の改定問題が動機となつて,防衛間題が徐々に国民の関心を呼び,1970年代には国際関係の変化に伴つて,いつそう防衛に対する関心が深まり建設的な議論が積み重ねられて,できる限り幅広い国民的合意が形づくられることを期待したい。
国の防衛は,その国民的合意を基盤としなければ成り立たない。したがつて,国民の半数を占める婦人の防衛問題についての正しい認識を得るか得ないかはきわめて重要なことである。
自衛隊においては,昭和43年度から婦人自衛官制度が拡充され,婦人が直接わが国の防衛に参加する道が開かれ,このことにより,一般婦人層の国防に対する関心が高まり,自衛隊に対する正しい理解を促進することに役だつものと期待されている。それ以前においても看護職については婦人自衛官の制度は設けられていたが,今回の措置により直接戦闘任務を除いた人事管理,教育訓練等の広い分野にわたつて婦人自衛官を任用する道が開かれることとなつた。第2次世界大戦において,米国,英国等の婦人兵の活躍はよく知られているところであるが,わが国の婦人自衛官制度の発展は,勤労婦人に対しては新しい魅力ある職域を開くことになり,また婦人自衛官の配置は自衛隊にも新風を吹き込み,男子自衛官の転用による第一線部隊の強化等隊務全般の効率化に貢献することが期待される。
最近,わが国の自主防衛努力に対して,諸外国の中には,わが国に軍国主義が復活するのではないかという疑念をいだいている国もあるといわれている。これは,わが国が順調に高度経済成長を続けている現状に注目し,かつて日本が経済発展を軍事力を背景にして推進しようとした歴史的事実から,再び同じ道を選ぶのではないかという危ぐの念に端を発したものであろう。
しかし,戦後のわが国は,平和国家であることを国是とし,こと防衛に関しては,必要最小限の防衛力を保持して,専守防衛に徹するきびしい制約をみずからに課しているのであつて,そのような批判は,いわれなき懸念というべきであろう。
経済大国に成長したわが国は,国際社会においても高い地位を占め,その責任も重くなつたといわなければならないが,日本は軍事大国として軍事的手段によつて国際政治上の役割を果たす国ではない。われわれの目標は平和であり,そのために国際間の緊張を緩和し,すべての国と友好関係を樹立し,平和を恒久的なものとする国際秩序の形成に努めている。そしてさらに伸び行く経済力を世界の民生安定のためにすすんで用い,各国が期待する国際社会における重要な役割を積極的に果たそうとしている。このような努力により国際世論も新しい日本の進路を誤認することなく,正しい評価をするであろう。