現在の国際社会は,米ソ両国の核による相互抑止を前提とする東西両陣営の対立と共存の関係を基本としているといつてよいであろう。米ソ両国は,いわゆる平和共存の立場から交渉による問題解決の態度を続け,国際緊張緩和のための話し合いや,核兵器不拡散条約,核ミサイルの相互制限などの軍備管理問題等現実的な共通利害に係る問題の処理に当たつては,協調的な方向を維持するよう努めている。しかしながら,米ソをそれぞれの頂点とする東西両陣営対立という基本的な態勢には変化なく,国際緊張の要因は依然として存続しており,軍事的には米ソの強大な軍事力を中心とした集団防衛体制をそれぞれ維持し,各国は軍備の相対的充実に努めているのが現状である。
さらに,このような情勢を基調としながら,一方においては,各国の国益重視または自主性を強調する気運が強まつてきており,国際政治はいわゆる多極化の傾向を増しつつある。すなわち,世界情勢は米ソを中心とする軍事的双極化と各国の自主性を基調とする政治的多極化の道を歩んでいる。また特にアジアにおいては中共の動向等をめぐり,情勢はますます複雑の度合を強め,流動的に推移しているといえよう。
国際緊張についていえば,もとより米ソ両国の強大な核戦力を中心とする相互抑止関係下においては,いかなる国といえども大規模な武力行使による現状変更を決意することはきわめて困難な情勢にあり,全面戦争または全面戦争に発展するおそれのある大規模な戦争は強く抑制されているが,いわゆる民族解放闘争や国家利益の対立等による局地的な武力紛争は,依然としてあとを絶つていない。
アジア地域の国際政治情勢は欧州とは異なつた事情にある。欧州の集団安全保障体制は,北大西洋条約機構(NATO)やワルシヤワ条約機構に示されるように数箇国の大きなグループが中核となつているが,アジアにおいては,東南アジア集団防衛条約(SEATO)は別として,日本,韓国,国府が米国と,中共,北朝鮮,モンゴルがソ連と,北朝鮮が中共とそれぞれ個別に条約を結んでいるというように2国間の集団安全保障体制が主となつている。また,アジアには,朝鮮半島とインドシナに,および台湾海峡をはさんで三つの分裂国家があり,多数の開発途上国が存在している。さらに,国際連合に加盟していない韓国,北朝鮮,中共等の国々がある。これらの事情は,アジアの国際関係を複雑化する要因となる可能性をはらんでいる。現に,米国,ソ連,中共の間の複雑な関係を背景に,東南アジア,朝鮮半島等の情勢をめぐつて,不安安な状態が続いており,国際緊張の焦点と目されている。特に中共および北朝鮮は引き続き硬直した対外姿勢を堅持しているが,アジアにおいて核兵器を開発している唯一の国である中共の動向や,さらに英国軍のアジアからの大幅な撤退とソ連海軍の進出,ベトナム問題の処理のきすう,米国軍の動向等は,アジア地域における今後の紛争生起の可能性に大きな影響を与えるものとみられている。
わが国周辺における東西両陣営の兵力配備の状況を公刊された諸資料によつて概観すると,全般的には共産陣営の側の方が勢力が量的には大きいが,自由陣営内極東諸国は,米国の強力な戦略報復力と機動支援兵力を背景に質的に充実されている。
これらを各国別にみると別表第5のとおりである。
なお,日本周辺の海空域において,国籍不明の航空機または艦船の行動が認められるが,その状況は別表第6のとおりである。
明日国際社会にいかなる緊張が生まれ,それをめぐつてていかなる武力紛争が生起するかを予見することはきわめてむずかしいことであるが,今後起こるかも知れない武力紛争を予想するためには,第2次世界大戦後,現実に生起した武力紛争を検討しておくことは意義のあることであろう。戦後の紛争史の特徴をあげると次のように要約することができるであろう。
第1に,核兵器を使用する戦争や大国間の戦争または第2次世界大戦のような大規模な戦争が起こらなかつたことであり,局地的な制限戦争は起こつても,第2次世界大戦のような大規模な戦争に拡大しなかつたことである。これはいうまでもなく,戦略核兵器体系の発達が大規模の戦争を抑制したものであるが,同時に世界的な集団安全保障体制の存在がその発生を抑止していることをも見のがすことはできないであろう。
第2に,核兵器を使用する戦争および核戦争に発展するおそれのある大規模の戦争は抑制されたが,通常兵器を使用する制限戦争やゲリラ戦等局地的な武力紛争は抑制されずに起こつていることである。そしてこれらの武力紛争は単に一国対一国で戦われるというものであるよりは,利害関係国が,陰に陽にからみ合つて複雑な様相を呈するものが多かつたことである。
第3に,以上の武力紛争の原因または動機として,民族主義,反植民地主義,領域紛争,宗教的人種的対立のほかイデオロギーの対立に基づくものが多かつたことである。
以上の諸特徴から次のようなことがいえると思われる。すなわち,核時代における戦争ないし武力紛争は,制限戦争の形でぼつ発している。戦争の目的,使用兵器,戦争の地域をお互いに暗黙のうちに制限しあいながら戦う現代の戦争は,きわめて政治色の強いものということができ,この部分については,「戦争とは他の手段をもつてする政治の延長である」という言葉は今日なお真実であろう。そして直接侵略という公然たる武力侵略が抑止される結果,間接侵略という潜行的な侵略の形で行なわれる可能性が増大しているということができる。たとえば民族解放闘争支援に仮託した侵略のように,間接侵略が主体となり,直接の武力行使は,間接侵略の補助的または仕上げのための手段として用いられるなど,その目的,地域,手段,期間等が限定される事態が多いであろう。しかし公然と国境を越えて侵略する直接侵略の可能性も全くないと判断することは危険である。もつとも,この場合の直接侵略についても第2次世界大戦のような大規模なものは抑止され,局地的な制限戦争の可能性が多いであろう。
わが国の国防の基本をきめるものは,日本国憲法とそれに基づいて定められる国防に関する諸法令および諸政策である。わが国は,自由と民主主義による平和国家,文化国家および福祉国家の建設を大きな目標としている。わが国の国防の政策はこの目標の中で考えられなければならない。そして,さらに現代の国防が軍事面と非軍事面との適切な調和の上に成り立つものである以上,防衛政策は国家の他の政策の中で正しい位置づけをされなければならない。
自衛権は,国が独立国である以上,当然に持つている固有の権利であり,これを行使することができるのは当然である。
わが国の憲法は,「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」と定めているが,外部からの武力攻撃を受けた場合,自衛のためこれを排除するために行なう武力の行使は放棄していない。他国から武力攻撃を受けた場合,武力攻撃を阻止することは防衛そのものであつて,国際紛争を解決することは本質が違うものである。自国に対する武力攻撃が加えられた場合に,わが国を防衛する手段として武力を行使することを憲法は禁止していない。他国からの武力攻撃を受けた場合,自衛権を行使してこれを排除することは独立国として当然のことである。
わが国の固有の権利である自衛権を行使するための防衛力を保有しうることも当然である。
わが国の防衛力は自衛のためのものであるから,その規模は,自衛のため必要かつ相当のものでなけれはならない。このような防衛力は憲法が保持することを禁止している戦力にはならない。
昭和34年12月16日に行なわれた最高裁判所のいわゆる砂川判決では,憲法の理念について「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく,わが憲法の平和主義は決して無防備,無抵抗を定めたものではないのである。……わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは,国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」と述べて,武力攻撃に対抗するため自衛の措置をとりうることを認めている。
国の安全を保障するためには,軍事的政策と非軍事的政策,特に政治と軍事,外交と軍事との関係が正しく規律され,その両方から調和のとれた適切な施策が行なわれなければならない。
国の安全保障上,まず考えなければならないことは,いかにしてわが国に対する外国の脅威や侵略を未然に防止するかということである。このため,まず,たいせつなことは,国の外交的努力である。複雑化し,連帯性の飛躍的に増大した国際社会において,その平和維持能力を向上させ,平和を増進させて,平穏で安定した国際環境をつくるための努力をしなければならない。積極的平和外交,国際連合の強化,軍縮や軍備管理もこれに関連する問題である。
さらに,国の安全保障を全うするためには,このような外交施策と同時に経済力の増進,社会保障の推進,教育の向上,愛国心の高揚など国内基盤を確立するための政治,経済,社会に関する施策を講ずる必要がある。また,防衛に関する国民的合意が防衛の基本であり,この合意がくずれて防衛は成立しない。この合意確立の基礎条件は,健全な社会の維持である。特に間接侵略が重要性を増してきた今日にあつては,社会の健全性の必要はますます増大する。この意味においても,今日の安全保障においては,軍事面の努力もさることながら非軍事面における努力がきわめて重要な条件となつている。
しかし,以上のような平和外交の推進や国内施策の実施等は,いずれも安全保障上欠くことのできないものであるが,これらの手段だけでは,わが国の独立と安全を維持するには十分でない。相手国が,わが国を侵略しうる能力をもち,侵略しようとする意図をもつた場合にはいかに適切な非軍事的手段を施したとしてもこれらの手段だけではその武力攻撃や侵略を排除することができないからである。したがつて,わが国が外国の侵略を受ける可能性が全くないといえない限り,これらの侵略に備えて,あらかじめ,自衛手段としての防衛力を準備しておかなければならない。侵略は尋常正規の形で行なわれるとは限らず,不測の時に不測の形で迫るものであり,また防衛力は外国の侵略が迫つているからといつて一朝一夕にできないものであり,万一の事態に備える常日頃の準備を怠つてはならない。そして,重要なことは国家として,このような準備がないときは,招かずにすむ外国の侵略を招くという危険性があることであり,これに反し,準備された適切な防衛力をもち,国民全体が防衛意欲に燃えて,いかなる犠牲を払つても,自分の国土を守り抜くという気概をもつている国に対しては侵略の意図をもつ国も,その意図を未然に抑えるであろうということである。
政府は,昭和32年,国防の基本方針を制定し,わが国の国防の目的を明らかにし,この目的を達成するための基本方針を明示した。国防の基本方針は,次のとおりである。
「国防の目的は,直接及び間接の侵略を未然に防止し,万一侵略が行なわれるときはこれを排除し,もつて民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。
なお,国防の基本方針は,以上のとおりであるが,政府は,政策として非核3原則を明示している。
そしてこれらの基本的事項を憲法のもとで正しく具現するための保障として,軍事に対する政治の優先すなわち文民統制が最も重要視されなければならない。
佐藤内閣総理大臣は,先般の国会において「自主防衛とは,国民のひとりひとりが自主独立の気概をもち,国の防衛は,第1次的にはみずからの力で行なうというものであります。」と説明している。それは,国防は第1に国民の心構えの問題であることを述べたのである。国防は国民的課題であり,国民全体で行なうことであり,全国民の力を結集しなけれはできないことである。そして最もたいせつなことは,わが国の平和と独立を守り抜こうとする防衛意欲であり,ことばをかえていえば愛国心である。そのような国民の精神的基盤なしには,国の防衛は成り立たないといつても過言ではない。
国家の独立と平和をみずからの手で守ることは,独立国として当然のことであり,各国ともこのために努力している。わが国も経済力の充実,国際的地位の向上に対応して,自主的な防衛努力を行なつている。すなわち第1次的には自力で侵略に対処することを根本方針とし,専守防衛を有効になし得る態勢をつくることを目標として努力を続けている。
しかし,核時代の今日いかなる国も自力だけで防衛を全うすることは事実上困難となつており,多くの国が集団安全保障体制を採用しているように,わが国の場合も,政治,経済その他の関係で共通の利害関係をもつている米国との安全保障体制によつて外部からの侵略を抑止し,かつ,これに対処することとしている。これはわが国の防衛力と日米安全保障体制に基づく米国の軍事力とによつて,日本防衛の万全を期するという体制である。われわれは,核兵器と攻撃的兵器を持たない以上,日本の安全保障上,国際情勢に大きな変更のない限り,日米安全保障体制は必要であると考えている。
集団安全保障体制というのは,国の自主性をふまえた上での共同防衛であつて,自主防衛と矛盾するものではない。現代社会においては,自主防衛は必ずしも単独防衛ではない。自主性を確保して国益を守るために相互に提携するなら,集団安全保障体制も自主防衛の一形態である。共同防衛において注意すべきことは,相手方に対するばく然とした期待や他力本願的な依存であつてはならないということである。そのような期待や依存は国民の国防に対する無責任な感情をうえつけ国民精神を堕落させるおそれがあるばかりでなく,相手方のわが国に対する信頼度を低め,日本防衛および相互の協力による安全保障体制の弱化をきたすおそれがあるからである。みずからの国はみずから守るという自主防衛体制の確立をはかり国民的合意の中に実効のある相互協力の道を開拓して行く必要がある。
韓国から米駐留軍が引き揚げた後の昭和25年6月25日,朝鮮戦争がぼつ発し,わが国に駐留していた米軍主力は,国際連合軍として朝鮮に出動した。同年7月8日,連合国最高司令官は,内閣総理大臣に日本警察力の増強に関する書簡を送つた。その中で「法の正当な手続を覆えし,平和と公共の福祉に反するような攻勢の機会を狙う不法な少数者から挑戦されることなく,………好ましい状態を安全に維持するためには今や警察制度をその組織の面においてもまた訓練の面においても効果的ならしめるため」警察力を増強する必要性をのべ75,000人の国家警察予備隊の設立と海上保安庁の8,000人の増員を認めた。これによつて8月10日,警察予備隊令が公布,施行された。警察予備隊の任務は,「わが国の平和と秩序を維持し,公共の福祉を保障するのに必要な限度内で,国家地方警察及び自治体警察の警察力を補う」ものであり,「治安維持のため特別の必要がある場合において,内閣総理大臣の命を受けて行動する」ものと定められた。一方昭和27年4月26日,「海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため緊急の必要がある場合において,海上で必要な行動をする」任務をもつ海上警備隊が海上保安庁に設置された。
昭和26年9月8日,対日平和条約と日米安全保障条約が調印され,両条約は翌年4月28日発効し,日本は独立を回復した。政府は,わが国の自主独立体制に即した行政機構として,警察予備隊と海上警備隊を統合し,陸海両面にわたる警備力の一体的運営をはかることとした。そして昭和27年8月1日,保安庁が設置され,その結果,警察予備隊は保安隊に,海上警備隊は警備隊に,それぞれ改称され,「わが国の平和と秩序を維持し,人命及び財産を保護するため,特別の必要がある場合において行動する」ことを任務とした。従前の警察予備隊,海上警備隊の任務と本質的な変更はなかつた。
平和条約の締結により,独立した後の日本は,着実に国力を回復し,国際的地位を向上させた。また,自由,共産両陣営の対立という国際情勢さらには駐留米軍の漸減等の当時の諸情勢の中で,国土防衛の重要性がいつそう高まつた。
昭和27年9月27日,吉田内閣総理大臣と重光改進党総裁の会談で「自衛力を増強する方針を明確にすること,駐留軍の漸減に即応しかつ国力に応じた長期の防衛計画を樹立すること,保安隊を自衛隊に改め,直接侵略に対する防衛をその任務に附加すること」で両者の意見が一致した。一方,米国の対日援助に関し,相互防衛援助協定が昭和29年3月8日に調印され,5月1日発効した。この協定に引き続き,5月14日,日本国に対する合衆国艦艇の貸与に関する協定が調印された。
このような情勢の中で防衛庁設置法,自衛隊法が昭和29年7月1日から施行された。これによつて保安庁が防衛庁に,保安隊が陸上自衛隊に,警備隊が海上自衛隊に改編され,新たに航空自衛隊が創設された。
自衛隊は「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし,必要に応じ,公共の秩序の維持に当る」ものと定められた。保安隊,警備隊が秩序維持を目的としていたのに対し,自衛隊は外部からの武力攻撃に対する防衛力としての性格を持つに至つたのである。
防衛庁設置法の制定時に,国防に関する重要事項を審議するため,内閣総理大臣の諮問機関として国防会議が設けられたが,その構成員については,昭和31年7月2日施行の国防会議の構成等に関する法律によつて定められた。
日米安全保障条約は,昭和35年,新しい条約に改定され,日米対等の関係に立つ安全保障体制に移行し,その後10年の固定期間を過ぎて,昭和45年6月いわゆる自動継続の時期にはいつた。
わが国は,1960年代を通じて,国力の伸長にめざましいものがあり,それに応じて国民の自覚と自信が高まり,自主防衛の気運も高まり,防衛力の整備についても相当の進展をみるに至つた。
われわれは,国際政治のきびしい現実を正しく認識し,わが国の国力,国情に調和した防衛努力を進めてゆかなければならない。
政府は警察予備隊の創設以来,逐次,防衛力の整備に努力してきた。そして昭和33年度以来今日まで3回にわたり防衛力整備計画を策定し,現在昭和47年度から姶まる新防衛力整備計画を検討中である。
第1次防衛力整備計画(昭和33年度〜同35年度)は,当時急速に撒退しつつあつた米国の地上軍の縮少に伴い,わが国の陸上防衛力を整備するとともに,海上および航空防衛力についても,ともかく一応の体制をつくりあげるという骨幹防衛力の整備を主眼としたものであつた。
第2次防衛力整備計画(昭和37年度〜同41年度)において,はじめて防衛力整備の目標とする事態を通常兵器による局地戦以下の侵略に対処することと定め,これに対して有効に対処しうる防衛力をもつものであることを明確にした。そして防衛体制の基盤を確立するため,前計画の骨幹防衛力の内容充実とともに精鋭な部隊建設のための基礎を培い,陸海空自衛隊の総合防衛力の向上をはかることを方針とした。
次の第3次防衛力整備計画(昭和42年度〜同46年度)は,現行の計画であり,本年度はその4年目に当たる。この計画では,わが国のおかれている内外の情勢,国力の伸長,国際的地位の向上等を勘案しつつ,陸海空自衛隊の内容の充実,強化をはかるとともに,隊員の志気を高揚し,精鋭な部隊の建設に努めること,技術研究開発を推進すること,装備の近代化,国内技術水準の向上に寄与するとともに装備の適切な国産を行ない,防衛基盤の培養に資すること等を主眼とした。
第1次および第2次防衛力整備計画の達成状況,第3次防衛力整備計画の目標および現段階における達成状況は別表第7のとおりである。
以上のように,防衛力整備の努力を重ねた結果,自衛隊はその量質ともにかなりの進展をしたが,新防衛力整備計画によつて専守防衛への態勢をさらに一歩前進させる必要があり,現在これを検討している。
今後の防衛力整備上の問題としては,自衛官の処遇の改善,機能統合の強化,陸上自衛隊の充実,海空自衛隊の増強,情報機能の強化,装備の自主開発等が考えられる。
わが国の防衛は,専守防衛を本旨とする。
専守防衛の防衛力は,わが国に対する侵略があつた場合に,国の固有の権利である自衛権の発動により,戦略守勢に徹し,わが国の独立と平和を守るためのものである。したがつて防衛力の大きさおよびいかなる兵器で装備するかという防衛力の質,侵略に対処する場合いかなる行動をするかという行動の態様等すべて自衛の範囲に限られている。すなわち,専守防衛は,憲法を守り,国土防衛に徹するという考え方である。
以上の前提のもとに,わが国は制限戦争に有効に対処することができる通常兵器による防衛力を整備することを目標にしている。
現代の国際社会において起こることが予想される武力紛争の多くは,制限戦争であるか,それ以下の規模のものであろう。このことは第2次世界大戦後に各地で起こつた武力紛争が如実に物語つている。通常兵器を使用する武力紛争の生起を抑制し,またはこれらの紛争に対処するためには通常兵器によることが常態であり,これが核兵器が発達した後においても通常兵器が重視される理由である。
戦略核兵器はもちろん戦術核兵器といえどもその使用に対する国際的反応への考慮と,第2次世界大戦のような大規模な戦争に発展するおそれなしとしないとの理由で,その使用は抑制されている。
わが国の防衛力は,以上のような考え方を基本とし,その規模内容および整備のテンポがきめられるものであり,わが国独特のきびしい限界を持つている。
わが国の軍事戦略の基本は,まず直接または間接の侵略を未然に防止することである。そのため,みずから有効な専守防衛の防衛力を保持するとともに,米国との緊密な連係によつてわが国に対する侵略が起こるような隙を生じないように配慮して侵略を未然に防止することである。すなわち,核兵器を使用する戦争や大規模な武力紛争の脅威に対しては日米安全保障体制による米軍の抑止力に期待する。
その他の武力紛争の脅威に対しては,つとめてみずからの力で防衛体制を確立して,わが国に対する侵略事態が発生することを防止する。
以上の侵略の未然防止の努力にもかかわらず,万一,侵略事態が発生した場合にはこれに対処しなければならない。すなわち,間接侵略に対しては早期にこれに対応して,事態の拡大を防ぎ,その収拾に努める。
直接侵略が起こつた場合には,防衛に必要な限度においてわが国およびその周辺の海域や空域における航空優勢,制海の確保に努め,その事態から生ずる被害の局限化をはかり,侵略を早期に排除することをはかる。
わが国は,昭和26年9月,対日平和条約とともに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧条約)を締結した。
この条約により,米国は,わが国の安全のために,わが国の希望に基づいて,その軍隊をわが国内に駐留させ,わが国はこれに対し基地を提供することを約束した。
旧条約においては,米軍のわが国における駐留権に重点がおかれ,米軍は極東における国際の平和と安全の維持に寄与し,ならびにわが国内における大規模な内乱および騒じようの鎮圧,外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができることとなつていた。
これらの点を是正するため,わが国は旧条約の改定を提議し,昭和35年1月,新たに日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約を締結した。この改定においては,米軍の内乱出動条項を削除し,
有効期間について10年の後は1年の予告をもつていずれの当事国も条約を廃棄することができることを規定した。また米軍の配置および装備の変更ならびに戦闘作戦行動のための基地使用については,別に交換公文をもつて日本政府との事前協議にかけることにした。また,いわゆる在日米軍の地位に関する行政協定も同時に現行の地位協定に改定された。さらにこれらの改定のほかに,日米間の政治,経済上の関係も明らかにされ,日米両国が「平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する」とともに「両国の間の経済的協力を促進する」として政治および経済面での協力をいつそう発展させようとの考えを明らかにした。
なお,この条約においては,日米両国は国際連合憲章の目的および原則に従つて行動すること,国際連合の強化に努力することを明らかにしており,国際連合が本来の機能を果たすことができるようになつたときには,この条約は効力を失うことを規定している。
この条約を防衛面から見れば,その中心となるのは,わが国への武力攻撃があつた場合,日米両国は,これを共通の危険として対処することであり,わが国の安全と極東の平和と安全を維持するため,わが国の施設および区域を提供することを定めたことである。
日米安全保障条約は,昭和45年6月22日の満了をもつて,10年間の固定期間が切れ,いわゆる自動継続の時期にはいり,今後は日米いずれかの政府からの申し出により1年の予告期間をもつて,条約を廃棄することができるようになつた。このことは,大局的にみて国益上共通点の多い日米両国の協力をさらに緊密に維持してゆくことに日米ともいつそうの努力を要請される。
昭和40年1月13日の佐藤内閣総理大臣とジヨンソン大統領との共同声明において,日本側が日米安全保障体制を今後とも堅持することが日本の基本的政策である旨を述べ,これに対し米側は外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという日米安全保障条約の義務を遵守する決意であることを再確認しており,また昭和45年9月14日ワシントンで行なわれた中曾根防衛庁長官とレアード国防長官との会談に際しても,米側は,日米安全保障条約の義務に従い,日本防衛のためあらゆるタイプの兵器を使用する旨述べており,わが国への外部からの武力攻撃に対しては,日米安全保障条約に基づいて日米間の共通の危険として対処することを日米首脳間における話し合いを通じて確認されている。
条約第5条で,日米両国は「日本国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め」て共通の危険に対処することを定めている。
米国は日本防衛の義務を負つているが,わが国は,米国の領土やわが国の領城以外の場所にいる米軍が攻撃されてもこれを防衛する義務を負つてはいない。この点は米韓相互防衛援助条約や米華相互防衛条約等においては,韓国または国府は太平洋または西太平洋の地域におけるいずれか一方に対する武力攻撃について米国と相互に防衛し合うのをたてまえとしているのに比べて異なつた形をとつている。
わが国の防衛は,前述のように専守防衛を本旨とし,その足らない部分は米軍に依存することにしている。日本防衛上米国に依存する度合いは,わが国に対する武力攻撃または侵略の様相,規模の大小,対処期間の長短等により,また,わが国の防衛力整備の程度により異なることはいうまでもないが,概していえば核兵器を使用する戦争や大規模な武力紛争の脅威に対する抑止,直接侵略に際してわが国の領土外への戦略攻撃等である。いずれにしてもわが国に対する武力攻撃が行なわれた場合,日米で最も有効に対処しなけれはならないので,平素から両者の間で相互に密接な連絡をとり,意思の疎通をはかり,緊密な関係の維持につとめる必要がある。
条約第6条では,「日本国の安全に寄与し,並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」米国はその陸,海,空軍が日本において施設および区域を使用することを認められている。これは,日米安全保障体制において米軍の行なう日本防衛を実効のあがるようにするために必要であり,また米軍がわが国に存在することが紛争の発生を抑止するという判断に基づくものである。
また,極東の安全と日本の安全は,きわめて密接な関係にある。日米両国は極東の平和および安全の維持に共通の関心を有している。米軍がわが国の施設および区域を使つて極東の安全を維持する体制にあることは極東における武力紛争の発生を抑止する効果をもち,そのことが同時にわが国の安全に貢献することになるわけである。
外国の軍隊の駐留を認めているのはわが国ばかりでなく韓国,国府,フイリピン,英国,ドイツ(西),イタリア等多くの国が相互安全保障に基づき米軍の駐留を認めている。