第1部 現代社会における防衛の意義

1 新しい日本の進路

 明治政府が成立した当時は,欧米の列強諸国が産業革命を経て近代的大工業を確立し,工業生産物の販路と原料・資源を求めて世界のいたるところに進出し,必要とあれば後進諸国を植民地または半植民地にしようとしている時代であつた。このような情勢の中にあつて,日本はアジアにおける数少ない独立国としての道を歩みはじめた。明治の新政権は一刻も早く強力な中央集権の近代国家を建設する必要に迫られていた。そのため,わが国が大目標として追求しようとしたものは,近代国家としての基礎を確立し,欧米先進諸国の文明水準に到達することであつた。この方針のもとにまず選択した道は,文明開化と富国強兵による国力の向上であつた。日本はその後日清・日露の両戦役に勝利をおさめ,独立解放を熱望するアジアの国々にはもちろん欧米諸国にも高く評価されて,国際的地位は飛躍的に向上し,第1次世界大戦においては連合国側に参加し,戦勝国となつて世界の列強の仲間入りをした。しかし,満州事変,日華事変のころになると,軍の力が著しく強大となり,ついに昭和16年12月第2次世界大戦に突入した。

 欧米の文明水準に追いつこうとする願望は,敗戦によつて一時は完全に打ち砕かれたが,経済復興を当面の至上の目標として,国民の総力を結集した努力が実を結び,驚異的な経済の高度成長を遂げ,1969年度における国民総生産は,自由世界で米国に次いで第2位を占めるに至り,1970年代においても,なお伸長しつづけて行くことが予想されている。

 しかし,その反面国民1人当たりの所得は,まだ先進諸国の水準より低く,生活環境,公共施設,社会保障等の施策において,欧米諸国に比して立ちおくれた地位にあることは否定できない。

 し細に検討すればいろいろ間題はあろう。しかし,今日の繁栄と豊かさは,一面国民の努力,勤勉のたまものであるが,祖先の深い思慮とその苦難および危険を踏破してきた民族の志を継ぐものでなければできないことである。われわれの祖先は戦乱,災害,飢きんそして貧困と戦つてきたのであり,しかも苦難に屈せず,困窮の中につねに道理を求め,進取の気性を重んじ,危機に臨んでは郷土を守り,独立を維持したことをわが国の戦後の成長の中であらためて想起する必要があるのではなかろろか。

 1970年代は,日本の国力が世界に対して前例のない重みと影響力を持つ時代となろう。そのことは国際的責任が重くなることであり,そしてまた国内的にも国際的にも,経済成長に伴い生ずる深刻な間題を解決しなければならない時代となろう。したがつて,今や追随や模倣をすて,みずからの手でみずからの目標を設定し進んで行かなければならない。

 佐藤内閣総理大臣は,昭和45年2月14日,第63特別国会で行なつた施政方針演説で,1970年代にわが国が目指すべき政治指針として,次の2点を指摘している。

 第1は,内面の充実をはかることである。すなわち,世界のどの国にも先がけて,経済繁栄の中で発生する人間的,社会的諸問題に取り組み,これをみごとに解決して,物心ともに豊かな国民生活の基礎を築くことである。

 第2は,内における繁栄と外に対する責務との調和をはかることである。すなわち,われわれは国際信義を重んじ,独自の平和努力によつて,世界政治の矛盾克服のため,国際連合の場を中心として重要な役割を果たすべきであり,さらに,伸びゆく経済力を世界の民生安定のため,進んで用いる用意がなけれはならない。

 これは人間を尊重し,豊かに繁栄する国と,平和と国際協力のために世界で独自の役割を果たす日本の新しい像を,強く描き出しているのである。日本は経済大国にはなるが軍事大国にはならない。今までの歴史の先例を打ち破り社会福祉と世界平和を中心とする国家の新しいあり方をめざして歴史的ちよう戦をしようとしているのである。

2 平和の希求と世界の現実

 あらゆる国の国民は,平和で自由な世界を望み,経済の発展,文化の向上,幸福な生活を求めている。今世紀において2度にわたる言語に絶する悲惨な大戦争を経験した人類は,世球上から侵略と戦争をなくし,恒久平和を維持して,このような惨禍を起こさないようにと願つている。

 最近における交通手段の驚異的な発達,通信その他の情報伝達手段の革命的な進歩,各国間の経済交流や貿易量の著しい増大等は,世界の国々と人々の接触を促し,世界の距離を縮めた。その結果国際政治の多くの面で相互依存の度合いが高まつてきて,各国とも他国との関係なしには存在しえないような事態に進んできていると考えられる。確かに,20世紀後半における科学技術の進歩は,地球全体を一つの社会に組織化するための技術的条件を整えたといえるかもしれないが,現実の国際社会の政治情勢をながめるとき,そのような方向とは逆に,国家間の協力や社会的連帯に背を向ける傾向もまた根強く存在している事実を否定することはできない。

 現在の国際社会においては,国家がその構成単位である。すなわち,国家は,独自の力を持つた組織体として独自の価値観をもつて,独自の目的を追求する。そして国際社会には,その構成員である国家を完全に統制できる制度は存在しない。それゆえ,国際社会においては,武力紛争の発生などさまざまな混乱が続発している。こころみに第2次世界大戦後の武力紛争の歴史をふりかえつてみると,この20余年の間に大小合わせて40回をこえる武力紛争が発生している。アジアにおいても国共紛争,朝鮮戦争,中印国境紛争,中ソ国境紛争,ベトナム戦争等が起こつている。

 他方恒久的な平和を希求する人類は,この慢性的な戦争状態を断ち切るため,「武器なき平和」を求める完全軍縮の方策とか,「世界連邦の形成」による世界平和の実現等いろいろの工夫,努力を重ねてきたが,いまだに成功するに至つていない。現在われわれが持ち得た最善の成果は,国際連合であるが,創設当初の大きな理想にもかかわらず,現実は平和の維持に関してまだ十分な機能を果たしているとはいえない状況にあり,国際社会における力の支配をいまだ遺憾ながら認めないわけにはゆかないのである。

3 安全保障のための人類の努力

(1) 国際連合の理想と現実

 第1次世界大戦が終了した後,1920年1月10日,「国際協カヲ促進シ且各国間ノ平和安寧ヲ完成」するため,国際連盟が発足した。その主たる目的は平和の確保という政治的なものであつたが,経済的,社会的,文化的方面でも重要な活動をした。

 国際連盟は,その設立後約10年間は,世界の平和維持にかなりの成果をあげたのは事実であるが,その後は必ずしも,有効な対策を講ずることができず,いろいろ困難な事態が統いているうちに,l939年,第2次世界大戦が発生し,その機能は事実上停止してしまつた。

 第2次世界大戦後,1945年に,新たに世界の平和維持機構として結成された国際連合は,人類の普遍的な平和の願望を今度こそ地上に実現しようとしたものである。

 国際連合憲章の前文には,人類の理想としての平和を切望する参加国の気持が,次のように述べられている。

 「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い,

 基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し,

 正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し,

 一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること

 並びに,このために,

 寛容を実行し,且つ,善良な隣人として互いに平和に生活し,国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ,

 共同の利益の場合を除くの外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によつて確保し,

 すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いること」

 国際連合は,「国際の平和及び安全を維持すること。そのために,平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること」を目的とし,国際連盟の失敗を反省して,特に集団安全保障に関する機構を整備し,戦争防止の措置をいつそう強化した。

 国際連合は,創設25周年を迎え,加盟国も120箇国をこえ,種種の国際紛争の解決に努力し,武力紛争の拡大を防止するうえでも大きな力を発揮し,世界の平和と安全に寄与した役割と成果を否定することはできない。

 また,国際連合の正式な決議はなされなくても,国際連合で討議された事項は,国際世論を反映して,国際の緊張の緩和に役だつていることも無視できない事実であろう。

 しかし,現在,国際連合の平和維持機能は,大国間の対立によつて憲章の精神が予期したとおり発揮されず,きわめて限定されたものになつている。

 その理由の第1は,安全保障理事会において大国間の意見が一致する場合はきわめて少なく,いわゆる拒否権の行使によつて,所要の決定が行なえない揚合が多いことである。

 このことは平和維持機構として使用上大きな障害となつているため,この障害を補う目的で,1950年「平和のための結集」決議が国際連合の総会で採択された。これは安全保障理事会が常任理事国間の意見の不一致のためにその機能を発揮できない場合に,総会が武力行使を含む措置について,加盟国に対して勧告ができるというものである。しかし,そのとりうる措置は,安全保障理事会に認められているような強制措置ではなく,加盟国に対する勧告にとどまるものであつて,その活動にはおのずから限界がある。

 第2の理由は,国際連合が軍事的措置をとることを決定した場合には,それを実行するために国際連合軍が派遣されることになつているが,意見の不一致のためいまだにその軍隊は編成されておらず,軍事的措置をとることは事実上できないことである。

 憲章に定められている国際連合軍は,安全保障理事会の決定に基づいて加盟国の軍隊で編成されるものであり,あらかじめ安全保障理事会が,加盟国との間に特別協定を結んで,兵力の種類,量,配置状況について合意し,加盟国は自国軍隊の一部をさいて,国際連合の強制行動のために提供しなければならないことになつている。しかし,この特別協定も意見の対立により未成立のため,国際連合は,集団的安全保障措置として軍事的措置をとる手段をもつていない。これも国際連合の活動の限界を示すものである。これまで,いくつかの国際連合軍(たとえば,朝鮮戦争の際の国際連合軍)が編成され,軍事監視団(たとえば,レバノン国際連合監視団)がつくられたことはあるが,これらは,いずれも臨時的なもので,その任務もきわめて限定されており,憲章にいう国際連合軍とは異なるものである。

 第3の理由は,今回,世界の大多数の国々が国際連合に加盟しているとはいえ,戦後イデオロギーの対立によつて分裂の不幸を招いた国々の多くは,なお加盟しておらず,しかもその中にはドイツ(西)や中共のような有力な国が含まれていることである。

 ことにわが国周辺のように,中共はじめ北朝鮮,韓国と国際連合に加盟していない国が多く存在する地域では,国際連合の平和維持機能の及ぶ範囲も限定されるとみなければならない。

 以上のように,国際連合の現実は,設立当初の理想にもかかわらず,それを構成する各国の足並みが必ずしもそろわず,国際社会の組織化,完全軍縮による平和の道は,まだ遠いというべきであろう。

(2) 集団安全保障体制と中立および非同盟

ア 集団安全保障体制

 安全保障のあり方としては,国際連合による集団安全保障が確立され,これによつて世界の平和と安全が維持されることが望ましいことではあるが,現在国際連合の平和維持機能には限界があるため,国際連合の活動にのみ依存して国家の安全を守ることは期待できない情勢にある。したがつて,国際連合憲章の第51条では個別的または集団的自衛権の発動を認めて,「この憲章のいかなる規定も,国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には,安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間,個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と規定している。

 世界の国々はこうした現実をふまえて,それぞれの国が選択した自衛の努力を続けているが,東西両陣営の対立が続き,核兵器とその運搬手段の異常な発達の結果,今日の国際社会においては1国が単独で自国を完全に防衛することは困難になつてきている。また他に比して隔絶した力を持つた核大国米ソが出現し,全世界的な影響力を持つようになつたため,世界のいずれの国も米ソの力を無視して,自国の安全をはかることは困難となつた。そこで世界の多くの国々は,あるかじめ国家としての基本的立場を同じくし,利害関係が共通している諸国家が協力して,米ソとの関連を保ちつつ,多数国または2国間で条約を結び,集団安全保障体制をつくり,外国からの武力攻撃に対しては,個別的または集団的自衛権を発動して,自国の安全を守ろうとしている。現在行なわれている集団安全保障体制の主要なものは,自由主義諸国間のもの,共産主義諸国間のもの(これら共産主義諸国間のもののなかには,中ソ同盟条約のように国際連合憲章第53条に定める旧敵国に対する取極もある。)についてみれば,それぞれ別表第1のとおりである。

イ 中立および非同盟

 集団安全保障体制は,今日,世界のすう勢といえるが,その中にあつてはいずれの陣営の体制にも加わらず,中立または非同盟の立場をとつている国がある。

 中立には,スイスのように国際条約によつて保障されている永世中立国や,オーストリアのように国内法で宣言して国際的に承認されて中立国となつた国や,政策として中立の立場をとつているスウエーデン,フインランドのような国がある。また,東西両陣営の対立に対して,その双方に軍事的な結びつきを持たない非同盟という立場をとつているインド,インドネシアなどの諸国がある。非同盟は,東西両陣営のいずれにもくみせず,国際政治において第三勢力を形成しようとして相互連帯性の強化をはかることを眼目としているもので,スイス,スウエーデン等の中立とは異なるものである。

 第1次世界大戦と第2次世界大戦において,ベルギー,ルクセンブルグ,アルバニアは中立を侵され,オランダ,デンマーク,ノルウェ−も第2次世界大戦でドイツに攻略された。この経験からこれらの諸国は,第2次世界大戦後は再び中立政策をとらずに,それぞれ集団安全保障条約の当事国となつている。

 スイスやスウエーデンは,国家の安全の維持のために,中立が最も良い方策と考えてその立場をとつているが,中立の維持のために,いずれも積極的な防衛政策をとつている。

 スイスは,国民皆兵による武装中立政策をとり,国民総生産の2.2%を国防費にあて,人口約630万人の国であるが,非常時には急速に約58万人の兵力を動員できる体制をとつている。

 また,スウエーデンは,国民総生産の4.0%を国防費にあて,人口約800万人の国であるが,約60万人を動員できる義務兵役制をとつている。(この資料は,英国戦略研究所ミリタリー・バランス(1970〜1971)による。)

 これらの諸国は,もし中立を侵す目的で武力攻撃が加えられた場合,その抵抗によつて侵攻勢力が払わなければならない犠牲が侵略によつて得られる利益を上回ると判断されるほどの防衛力をつねに独力で維持しなければならないとしている。

(3) 軍事技術の進歩と各国の防衛努力

ア 軍事技術の進歩

 第2次世界大戦後,軍事技術は目ざましい発達を遂げた。特に核兵器とその運搬手段の進歩は,電子技術の進歩と相まつて,戦略,戦術に大きな変革をもたらした。また,宇宙開発の分野における最近の急速な進歩が軍事面においても偵察,通信等の分野で大きく寄与しつつあることも見のがしえない。

 核兵器は,米ソにおいては,大威力の戦略用のものから小型の野戦用のものまで,各種のものが開発され,あるいは装備されている。最近では1基のミサイルから数個の目標に誘導される複数弾頭(MIRV)なども開発され,また,ソ連では人工衛星の軌道を一部利用する部分軌道兵器(FOBS)が開発されつつある。

 電子技術の進歩は,相手の大陸間弾道弾(ICBM)を早期に発見し,これを瞬時に識別して迎撃する手段(ABMシステム)をもたらした。このABMシステムは,米ソともに開発が完了し,一部配置を行なつている。

 米ソに続いて英国,フランス,中共もまた核兵器を開発し装備化していることは周知のとおりである。

 原子力を推進力に利用する方法の完成により,原子力艦艇が生まれた。これにより特に潜水艦の能力が画期的に向上し,これに戦略核ミサイルの技術が加わつて,ポラリス,ポセイドンなどの戦略核ミサイルとう載の原子力潜水艦となり,強力な核報復力の主体をなすに至つている。

 その他技術の進歩は,通常兵器の近代化の面でも著しい。陸戦兵器,防空兵器,航空機または艦艇とう載兵器の分野にミサイルが進出し,火力も大幅に増強されつつある。また,へリコプターを含む航空機,車両の進歩は機動力を向上させ,電子技術の進歩は情報機能または指揮連絡の能力を著しく高めている。

 大口径砲をとう載する艦艇は姿を消し,ミサイルおよび対潜兵器を装備するものが主用されるようになり,航空機はすでに音速の3倍を出すものさえ出現しようとしている。垂直離着陸機(VTOL),大型輸送機やへリコプタ−が開発されて部隊や重量物の戦略輸送や戦場機動が可能となつた。

 以上のような技術,兵器の進歩が現在の戦略,戦術の基礎となつており,国際情勢を動かす一つの因子となつていることは見のがすことのできないことである。

イ 軍備のあり方

 核兵器が出現し,高度の発達をみた結果,防衛努力または軍備の重点は戦争抑止に置かれるようになつた。核兵器の出現および進歩は,兵器の破壊力を一挙に数千倍から数百万倍にも増加し,これに対して今のところ,ABMシステムをもつても有効に防御することは因難であり,核戦争の開始が相互に壊滅的打撃をもたらすことは明らかである。そこで核戦争抑止のためあらゆる努力がはらわれている。米ソ両国は相手の国を徹底的に破壊するに足る核戦力を準備することにより,相手方からの核攻撃を未然に防止するための核抑止力としている。すなわち,相手からの第1撃を受けても,なお生き残り,残存の核戦力で相手に決定的打撃を与えうるよう,ICBM,戦略核ミサイルとう載原子力潜水艦,核兵器とう載の戦略爆撃機を配置するとともに,さらにミサイル基地の分散,地下移行,ABMによる防護措置等を行ない核抑止力を弱化させないようにつとめている。

 さらに,核兵器は,戦術核兵器のような小型のものであつても,いつたん使用されると逐次大型の核兵器の使用へと拡大され,ついに世界的規模の大量破壊の核戦争に発展するおそれがあり,また,通常兵器を使用する戦争であつても,それが拡大すれば核戦争ヘ転化しないという保障はない。そこで各国は,核兵器を使用する戦争はもちろん,通常兵器を使用する直接,間接の侵略をも含めてすべての戦争の生起を抑制し,また,戦争が起こつた場合には,それが拡大しないうちに消し止めることを防衛と軍備の方針としている。

 通常兵器を使用する戦争を抑止するには通常兵器によることが常態であろう。これが核兵器が発達した後においても,通常兵器が重視されるゆえんであり,米ソのように核兵器を大量に保有する国々においても,通常兵器の整備に大きな力をさいている。

 次に,現代戦における作戦速度の向上と打撃力の増大は,戦争の開姶と同時に被侵略国に致命的な打撃を与えることを可能とした。

 このような特徴をもつ現代戦においては,従来のような緩慢な対応は許されず,攻撃に対して直ちに対応できる防衛体制をつねに整備しておかなければならない。そこで核の奇襲攻撃に対し直ちにこれに対応して報復攻撃を加えることができるよう戦略ミサイルの配備,戦略爆撃機の常時警戒待機等を行ない,通常兵力の軍備においても常時対空警戒,機動力の強化,実戦的に訓練された部隊の配置等により有事即応体制をとり,戦争の抑止または限定化に努めている。

 一方このような軍備の整備とともに,部分的核兵器実験禁止条約の成立(1963年),宇宙天体条約の成立(1967年),核兵器不拡散条約の調印(1968年)等核兵器に関する軍備管理措置がとられ,さらに,海底の軍事利用制限,地下核兵器実験禁止その他米ソ間の核ミサイル制限交渉等いわゆる軍縮への努力がなされていることは,注目すべきであろう。

ウ 各国の防衛努力

 各国は安全保障政策として,それぞれその国の歴史的伝統,国際環境等の特殊性に応じて,集団安全保障体制,中立または非同盟政策を選択しているのが現状であるが,国の防衛のためには,みずからの防衛力を保持することの必要性を認める点においては共通しており,それぞれの国が国情に応じて防衛力の充実に努めている。また,軍備による防衛と並んで民間防衛活動のための組織の整備にも努力を払つている。

(ア) 各国の軍備の概要

a 各国の軍備

各国の軍備は,公刊された諸資料によれば,おおむね別表第2のとおりである。一応の目安としてこれをみると,米,ソの軍備が全体として群を抜き,そのほかでは,中共の陸軍兵力,英国の海軍兵力が顕著である。

なお,各国は装備の近代化等軍備の内容の向上にも努力している。

b 戦略核兵器保有状況

戦略核兵器の保有状況は,公刊された資料によれは,おおむね別表第3のとおりである。

(イ) 各国の国防費

国防費は,その国の防衛努力を表わす一つの指標となるものであるが,その国がおかれている国際環境その他によつてそれぞれ特色を持つている。日本は,国民1人当たり国防費,国民総生産に対する国防費の割合では,世界各国の中でも最も少ない国の一つである。

各国の国防費は,公刊された諸資料によれば,おおむね別表第4のとおりである。

(ウ) 兵役制度

自由圏諸国では,英連邦諸国の多くが志願制をたてまえとしている以外は,いずれも徴兵制を採用している。共産圏諸国はいずれも徴兵制をとり,インド,スイス,スウエーデン,インドネシア等の中立または非同盟諸国では,インドが志願制をとつているほかは,徴兵制を採用している。また,各国は志願制をとると徴兵制をとるとを問わず,戦時等に動員され戦力化される予備兵力を保有している。

(エ) 民間防衛

民間防衛の機能は国によつて異なるが,空襲に対する民間の防護活動に重点が置かれ,最近では,特に対核防護が重視されている。現在核保有国である米,ソ,英,仏はもちろん,非核保有国であるドイツ(西),スイス,スウエーデン,ノルウエー,デンマーク等の諸国においても,対核防護用の警報ステーシヨンや放射能退避壕が全国的な規模で設備されつつあり,ことにスウエーデンは,大規模な完備した施設を整えていることが知られている。

4 国を守る心

 われわれは正義の支配する恒久平和を望んでいる。そしてわれわれは,今後も平和のうちに今日のような発展と繁栄がつづくことを切望するものである。しかし,国際社会には数多くの武力紛争が後を絶たずに起こつている。わが国の周辺には、侵略の意図のあるなしは別として,優勢な軍事力をもつ国が存在している。それによつて直ちに,わが国に対する侵略の危険性があると判断するものではないが,わが国の独立と平和がいささかでも侵されるようなことがあつてはならない。

 わが国の独立はなにものにも替え難いたいせつなものであり,独立に対する侵略にはいかなる犠牲を払つても守り抜かなければならない。国の独立は,国の政治,経済,社会等に関する体制をその国がみずから決定し,外国の干渉を許さないことである。国に独立がなければ国民の生活は隷属のそれとなり,文化も興らず,繁栄もなく,理想はもとより人生に対する励みの起こることもなく,活動の自主性は全く奪われて,あんたんたる毎日を送るよりほかはないであろう。

 また,わが国の防衛とは,われわれの国土の安泰と,民族の文化,自由と民主主義および国民共同の生活体の安定と繁栄を守ることである。この国土はわれわれの祖先の住んだところであり,またわれわれの子孫の住むところである。われわれは,長い歴史,独特の文化と伝統を誇つているが,さらに育成されて栄えて行かなければならない未来の土地でもある。喜びと悲しみ,希望と失望の交差してきた過去を持ち,しかも正義と人道がいよいよ興らなければならない土地でもある。しかもこの土地の民族は一つであり,この社会および国家は分割のない一つのものであつて,この独立と統一を長い間続けてきたのである。わが国のような,一民族,一国家,一言語,一億人口の個性を持つ国は他にない。しかし,かかる国家の特色もその独立と平和が確保されているがゆえに続けることができるのであつて,このような個性の獲得が、またその維持がいかに多くの血と努力を要するものなのかは,歴史の物語るところであり,今日の世界の現実が示している。

 わが民族は,わが国土はもちろん,言語風俗,生活体系,歴史伝統,信仰,文芸,思想等を遠い昔から受け継いできた。これは過去からの長い歴史を通じて培われたわが民族の蓄積であり,その創造物であり,共同の世襲財産である。自然や物質的要因の上に人の心によつてつくられた精神的文化財である。その価値は国民の努力によつて積み上げられた成果であり,また将来もこの努力は続けられるであろう。

 これらのものが時代から時代へ,過去から現在へ,現在から未来へ,心から心ヘ受け継がれ,継がれるごとにその深さを増したものである。過去の人の持つた心であり,また未来の人の持つ心である。

 いうまでもなく,この共同の財産たる国民の心の蓄積,この創造物はただに過去現在のみならず,この将来に託する希望のいつさいを含むもので,この安泰と繁栄を願い,独立と平和のうちにこの恒久の生命の流れの続くことを祈り,国民がこぞつて守らなければならないものである。

 われわれは,わが民族の共同生活体や国土の安泰と繁栄を願い,独立と平和の維持されることを祈つてやまない。現在の世界情勢は,必ずしもこの安泰と繁栄,独立と平和を無条件で保証してくれるものではない。現実の国際社会には戦争や不正な侵略がある。これは歴史が示す悲しい事実である。われわれは,不正な侵略に屈服することはできない。われわれ国民は,不正な侵略からわれわれの国民共同生活体や国土を守るため,国をあげて最善の抵抗を尽さなければならない。これは国民のひとりひとりの務めであり,また祖先に対し,子孫に対する務めであり,その務めを果たさなければならない。その務めを果たそうとする自覚が防衛の意欲であり,国を思う心であり,愛国心の発露である。愛国心は郷土への愛着であり,国が栄えよとの人間自然の情であり,誰しもが持つている心情である。たいせつなことはそれぞれをどういうときにどのように発揮するかである。真の愛国心は,単に平和を愛し,国を愛するということだけではない。国家の危急に際し身を挺して国を守るという熱意でなければならない。

 戦後の風潮は,戦前の行き過ぎた国家主義に対する反動から,国を愛するという自然で人間的な感情をあえて否定するかのごとき傾向が強かつたが,われわれは戦後25年にしてみずから反省すべき時期に到達したと考えられる。そうして,国を愛するという自然にして健全な感情をわれわれ国民の心の中にはぐくんで行く必要があると信ずるのである。